2011年8月17日水曜日

8月講「浦島講師の往復書簡」

[ はじめに ]

 つい最近読んだ記事によると、アメリカでは数年前から「筆記体」の衰退が目立ち始め、「若者の多くが筆記体での読み書きの力が不十分」なのだそうです。実は日本はもっと前に同じ問題に直面し、それを放置してしまった経緯があります。今の若い方はもちろん、すでにその親御さんの代から「お舅様から頂いたくずし字(草書)で書かれた達筆な縦書きのお手紙が読めない」という方がいらっしゃるのではないでしょうか。

 便利な電子ツールが世の中に溢れています。そしてそれらの多くが比較的安価で簡単に使いこなせるとくれば、わざわざ手紙を書かずとも連絡を取り合う事が出来てしまいます。
 一昔前のテレビコマーシャルで、独居のお年寄りが使う電気ポットにインターネットを組み込み、その日ポットを使ったかどうかで安否確認をするという商品を見た事があります。「へぇ、上手い事考えるものだ」という関心と同時に、「心配なら毎日電話すればいいではないか」とも思ったものです。この考え自体、私も既に「現代病」にかかっている証拠ですね。

 ブログやTwitterでの発言が簡単に書籍化されるこの時代、わざわざ手紙を書く意味が見失われつつあります。昨年の8月講でも一部取り上げましたが、今回は講師直筆の往復書簡を例に、手紙に寄って培われる江戸しぐさ(教養)についてお話させて頂きます。

続きは8月講にて。