2011年12月13日火曜日

12月講「一人一人に一講(ひとてだて)」

[ はじめに ]

 私が現在も習い続けているお稽古に、「着付け」「お茶」「小唄」「古文書を読む会」がございます。まだ私も若かった頃から「何かを習うなら一つにしなさい」と、芝講師には嗜められておりました。「先生がおっしゃることだからきっとその方が良いのだろう。でも今は一つに決められない!」と結局複数を始めた結果、今尚どれ一つ極められてはおりません。


 色々に手を出して不必要にバタバタと忙しくしている私を、芝講師が叱る様なことはありませんでした。むしろ「何一つとして無駄な勉強は無し」と静かに見逃してくださいました。
 ただこの齢になり、ようやく「一つになさい」とおっしゃった意味が理解出来るようになりましたものですから、今年の締め括りに皆様にお話させて頂こうと思います。


続きは12月講にて。

2011年11月10日木曜日

11月講「365日の残し文」

[ はじめに ]

 芝講師の年代はもちろん、私のように団塊と言われる方々の世代もまた日記を付ける習慣をお持ちの方が多いようです。
 原稿を書くことが多かった芝講師ですが、それらが芝講師のお名前で出版されることはありませんでした。そして日々の心情を吐露した日記のようなものは、お書きになる習慣は無かったように記憶しております。では芝講師は我々に何を残してくださったのでしょうか。

[ 「残し文」とは ] 

「残し文」は誰それに宛てた文章とは限りません。日々の書き付け・日記・日報・手紙はもちろん、手帳も立派な残し文となり得ます。
 芝講師は原稿も手紙もカーボンを当ててお書きになりましたので、江戸の良さを見なおす会には芝講師直筆のものが山程残っております。他にも手帳や走り書きのメモなど、「残し文」として大切に保管しております。

続きは11月講にて。

2011年10月13日木曜日

10月講「見取り学」

[ はじめに ]

 見取り学とは「設計図、回路図を読み取ることは勿論、聞く、触る等五感をフルに使って感じ取る力を養う為の学習である。」芝講師はそうおっしゃっていました。
 大学では電子工学を専攻なさっていたことから、人の考えを設計図、特に電子回路に例えて説明なさることがよくありました。「パッと見は難しく見えるかもしれないが、順を追って規則通りに読み解いていけば必ず理解出来る」のだそうです。
 本日はそんな「見取り学」について、芝講師のライフスタイルと共にご紹介していきたいと思います。

[ 芝流「見取り学」–入門編- ] 

 江戸の良さを見なおす会では、生前の芝講師から託された多数の遺品、資料の整理・保管も大切な業務の一つです。その量たるや、事務局には置ききれずにもう30年以上もの間、倉庫を借り続けている程です。
 その中には収集なさっていた浮世絵や直筆の原稿や手紙の束はもちろん、「なんでこんなものまで?」と首を傾げたくなる様なものも少なからずございます。

続きは10月講にて。

2011年9月13日火曜日

9月講「秋の七草」

[ はじめに ]

 「七草粥」として年中行事の一つに据えられた春の七草とは違い、秋の七草は現代人には少し馴染みが薄いかもしれません。
 皆様ご存知の通り、春の七草「芹」「薺」「御行」「蘩蔞」「仏の座」「菘」「清白」はすべて食用です。春に芽吹いた、若く力強いエネルギーを食事として摂取することで、春から夏に向けて体力を養っていく必要性を説いたのではないかと考えます。
 一方、秋の七草は「女郎花」「尾花(ススキ)」「桔梗」「撫子」「藤袴」「葛」「萩」で、それぞれの頭文字をとって「おすきなふくは」と覚える事が出来ます。これらは一見食べられない様に思え、実は古来から「生薬」として使われていました。夏の暑さで弱った体を癒し、来る冬へ向けて体調を整える薬として準備したのではないでしょうか。

 本日はお彼岸を前に「秋」の過ごし方について、お話をさせて頂くと致しましょう。

続きは9月講にて。

2011年8月17日水曜日

8月講「浦島講師の往復書簡」

[ はじめに ]

 つい最近読んだ記事によると、アメリカでは数年前から「筆記体」の衰退が目立ち始め、「若者の多くが筆記体での読み書きの力が不十分」なのだそうです。実は日本はもっと前に同じ問題に直面し、それを放置してしまった経緯があります。今の若い方はもちろん、すでにその親御さんの代から「お舅様から頂いたくずし字(草書)で書かれた達筆な縦書きのお手紙が読めない」という方がいらっしゃるのではないでしょうか。

 便利な電子ツールが世の中に溢れています。そしてそれらの多くが比較的安価で簡単に使いこなせるとくれば、わざわざ手紙を書かずとも連絡を取り合う事が出来てしまいます。
 一昔前のテレビコマーシャルで、独居のお年寄りが使う電気ポットにインターネットを組み込み、その日ポットを使ったかどうかで安否確認をするという商品を見た事があります。「へぇ、上手い事考えるものだ」という関心と同時に、「心配なら毎日電話すればいいではないか」とも思ったものです。この考え自体、私も既に「現代病」にかかっている証拠ですね。

 ブログやTwitterでの発言が簡単に書籍化されるこの時代、わざわざ手紙を書く意味が見失われつつあります。昨年の8月講でも一部取り上げましたが、今回は講師直筆の往復書簡を例に、手紙に寄って培われる江戸しぐさ(教養)についてお話させて頂きます。

続きは8月講にて。

2011年7月14日木曜日

7月講 「江戸の女(ひと)」

[ はじめに ]

 「雌鳥歌えば家滅ぶ」とは、(妻が夫を出し抜いて権勢をふるうような家はうまくゆかず、やがて滅びる)という例えです。

 この様に古来から女性の社会的活躍を好ましく思わない風習と国民性により、女性の社会進出は阻まれていたのです…とはフェミニスト的な考えであって、実は「江戸しぐさ」的な考えではございません。

 本日は今までのイメージとは違った見方で江戸時代の女性について、「その生き生きとした当時の女性像を現代の女性達が引き継いでくださったら」と、願いながらお話することにいたしましょう。

続きは7月講にて。

2011年6月16日木曜日

6月講 「意地と遠慮のその先に…」

[ はじめに ]

 「無縁社会」という言葉が、震災後改めて関心を持たれるようになったそうです。比較的耳触りの良い、関連した言葉の一つに「お一人様」というものもありますね。

 「スタイリッシュ」「気楽」「独立した」という良いイメージで使われることの多い「お一人様」ですが、一人で過ごすその先に「無縁社会」が待っていることの無いよう、本日はお話させて頂きます。現在ご家族がいらっしゃる方こそ、是非お聞き下さいませ。

続きは6月講にて。

2011年5月12日木曜日

5月講 「江戸のリサイクル術で節電を!」

[ はじめに ]

 あって当たり前のものの代表に「空気」が挙げられますね。今回の大震災と原発事故により、電気こそが我々にとって「あって当たり前。無くては暮らせないもの」であると再認識させられました。
 しかし足り無いものは足り無い。そう言って我慢や工夫の努力が足りず、安全性という最も軽視してはいけない部分を無視して「便利さ」や「利益」を追求した結果がこの現実なのです。

[ 「責め」ではなく「攻め」が江戸しぐさ ]

 ここで思い出すのが基礎的な江戸しぐさの「うかつあやまり」。状況を考えたなら自己批判を推奨するなど論外ですが、相手を責めるだけでは解決しないというのもまた事実です。なんとか土壇場、行き詰まりの状況を脱し、今後は「せっぱつまり」にならないような対策をたててゆかねばなりません。
 特に被災していない人達は、今は東京電力の責任だとか政府の対応がどうとか、それらを責めたて責任の所在と補償を追求する前に、皆が少しでも安全で不安のない生活を手に入れるようにすることが先決です。そしてそれが被災した人達の復旧、復興に必ず繋がります。

続きは5月講にて。

2011年4月14日木曜日

4月講「"誰かの為に"を自分の為に」

[ 循環的思考モデルとその法則 ]

 バタフライ効果と言われるものがあります。これは「ある場所での蝶の微かな羽ばたきが、そこから遠く離れた場所の将来の天候に影響を及ぼすことがある」というカオス理論(注)1の思考実験の一つで、その理論展開はドミノ理論(注)2と呼ばれ...

 「ん?今までに無く偉そうで、なんだか難しそうな話だぞ。これは本当に江戸しぐさ講なのか?」と、驚いて頂けたなら大成功。これはしてやったなと、芝講師が皆様のお顔を見ながらお腹を抱えて笑っている姿が見えるようです。

 そんないたずらに対し「この非常時に何を考えているのやら」と、呆れないでくださいませ。非常時だからこそ、笑いも楽しみも必要なのでございます。自粛ばかりでは心が荒んでしまいますもの。とは言え、そろそろ真面目にお話を始めさせて頂くと致しましょう。

続きは4月講にて。

2011年3月18日金曜日

備えと供え

この危機を乗り越える為に… [江戸の良さを見なおす会 2011年3月16日]

今必要な「そなえ」は「備え」よりも「供え」であると私は考えます。自分の為に物を溜め込む前に被害に遭った方へ「供え」ましょう。

もちろん自分や家族の命は一番です。それを後回しになさる必要はございません。そういう時こそ「江戸しぐさ」を思い出し、知恵を働かせてください。

江戸の町では個人個人が所有する物はそう多くありませんでした。殆どの物は共有され、無駄無く効率良く使い回されていたのです。

東京にいる私たちが今買い占めている懐中電灯は家族の人数分必要ですか?両隣の家に専業主婦の方がいるのであれば、昼間は一カ所に集まることで、必要な明かりの数は減らせます。

仕事に出かけたご主人が戻ってきた時に、それぞれのご家庭に最低1つあれば足りるのではないですか?

カセットコンロをすべての家庭が一つずつ所有しなくても、食事の時だけ数家族集まってみてはいかがでしょうか。小規模な炊き出しや、いつもとは違う大人数の食事をこんな時だから
こそ楽しむのです。

集会所が近い方は是非活用してください。集合住宅で普段顔を会わせない者同士が初めて話をするきっかけになるかもしれません。ネガティブに考えず、出来るだけ前向きな思考を心掛けるのです。

他にも皆様のアイディアから、埋もれていた江戸しぐさを発掘出来るかもしれません。
皆様からのご意見をお待ちしております。

2011年1月24日月曜日

十三回忌


 1月22日のご命日に、会の皆様と芝講師の十三回忌を執り行なって参りました。

 時の流れは無情とも言えますが、大切な方を亡くした悲しみが寂しさになり、ついには懐かしさに変わる体験をすると、その無情さは慈悲にも思えて来ます。それ程に芝講師がお亡くなりなった事は、会にも私自身にも大きな喪失と悲しみをもたらしました。

 十三回忌当日は、講で共に机を並べたお仲間も2名久々に参加してくださり、束の間講元としての立場を忘れて気持ちだけ女学生に戻りました。
 
 在りし日の芝講師の思い出話に花が咲き、芝講師に直接お会いしたことが無い会員様も、その意外な一面や当時の会の話を楽しんで頂けたように見え、それがまた大変嬉しゅうございました。
 
 芝講師がお亡くなりになってからというもの、講師が生涯を賭した「江戸の良さを見なおす会」をお預かりするというその責務の重さに、私は長い間悩み続けておりました。

 しかし会を大切に思ってくださる会員様にこんなにも支えられているという事実を改めて実感することが出来て、これからも会の発展の為に尽くそうと心新たに誓う、私に取って最良の一日となりました。



 「自分には個人の墓は無用である」という生前からの強いご意思で、無縁仏と一緒に合葬する手はずを遺されました。ですので今回も有縁無縁仏さまと芝講師とのお塔婆を両方用意し、万霊供養塔をお参りさせて頂きました。

 こうしてご自身が亡き後も、他者への慈しみの心と共存について教えてくださるのですね。

 心からありがたく思っております。

siba