現在、講の開催日を毎月第3木曜日の午後3時からとしております。場所こそ変わりましたが、講の場を昼間に設けて随分と年月が経ちました。芝講師がお亡くなりになった後、講を再開した当時の会員様の多くが、夕方に家を空けることが難しい主婦の方で、その時間が皆さん一番集まり易かったのでございます。
以前から「講に参加したいけれど、働いているので平日の昼間は行くことが出来ません。夜の部は無いのですか?」という声を少なからず頂いておりましたが、なかなか実現にまでは至っておりませんでした。
主婦をしながら定年まで会社を勤め上げ、その間二足も三足もワラジを履いていた講元としては、やはり働く皆様のご希望にもお答えしなければと、ようやく重い腰を上げ、夜の部を定期的に開催することに致しました。
開催日:毎月第4火曜日
時 間:19時〜20時 ※その後、希望者のみ軽食会
会 費:資料代100円、お飲物代(会場費として)500円
会 場:オーガニックカフェ PUBLIC SHOTO
申 込:E-mail:info@edonoyosa.jp
※次回の開催日は10月26日(火)19時から、お月見に因んだ「観月講」です。当日は志賀勝先生自らのお話はございません。昼の部でご用意頂いた先生の資料を中心に、お題を「月暦」としてお話させて頂きます。
毎月のお題は昼夜共通ですが、会場もメンバーも違う中でどのような講となって行くか、いまからワクワクしております。是非皆様のご参加をお待ちしております。
2010年9月29日水曜日
観月講のお知らせ
暑さを超えた熱さでギリギリまで居座っていた夏も去り、日によっては早くも冬の訪れを予感してしまう今日この頃です。
次回の講は「観月講(みづきこう)」といたしまして、江戸しぐさで彩った秋のひと時を、月と一緒に皆様と楽しみたいと存じます。
特別講師として志賀勝先生にお越し頂き、「月暦」のお話をして頂きます。その後で懇親会(お食事会)も予定しております。
また、天気によってはお月見も予定しておりますので、暖かくしてお出かけくださいませ。
開催日:10月21日(木)
場 所:ハニーズカフェ
お 話:15時〜16時30分(その後室も)
懇親会:17時〜 (お食事をご用意しております)
お月見:18時〜 ※雨天中止
会 費:2500円(食事+お飲物)
申 込:E-mail:info@edonoyosa.jp
次回の講は「観月講(みづきこう)」といたしまして、江戸しぐさで彩った秋のひと時を、月と一緒に皆様と楽しみたいと存じます。
特別講師として志賀勝先生にお越し頂き、「月暦」のお話をして頂きます。その後で懇親会(お食事会)も予定しております。
また、天気によってはお月見も予定しておりますので、暖かくしてお出かけくださいませ。
開催日:10月21日(木)
場 所:ハニーズカフェ
お 話:15時〜16時30分(その後室も)
懇親会:17時〜 (お食事をご用意しております)
お月見:18時〜 ※雨天中止
会 費:2500円(食事+お飲物)
申 込:E-mail:info@edonoyosa.jp
2010年9月6日月曜日
講・第9回の予告
9月は防災月間ですね。
夏休みあけの始業式に、防災頭巾を被って避難訓練をした遠い記憶がございます。災害の恐ろしさを知り、被害を最小限に食い止める為の知識を備えるのが目的であったと思いますが、当時はどこか他人事に感じていたように思います。
「地震・雷・火事・親父」と言えば、「恐ろしいもの」の代表です。しかし現代に生きる我々は、それらを本当に恐れていますでしょうか?
「恐ろしい」には、
1. 危険を感じて、不安である。こわい。
2. 程度がはなはだしい。
① 驚くほどすぐれている。はかりしれない。
② 驚きあきれるほどである。ひどい。
という意味があります。
今日私達が同じ言葉を口にする際、1.もしくは2.②の意味を連想します。しかし本来は、2.①の意味での「恐いもの」の代表であったと考えます。「畏敬の念」の対象としてのベスト4と言う訳です。そして現代でもそう感じられるようになって欲しいと願うのです。
順番も的確だとおもいませんか?予測は有る程度出来る様になったとは言え、地震は現代科学をもってしても避けられるものではありません。雷は、ある程度の精度の予報で被害を最小限にすることは出来ますが、落雷を止めることは出来なません。火事は予防が可能ですが、自然発火等、まだまだすべてをコントロールすることは出来ません。
さて、最後の親父はどうでしょうか?ご一緒に考えてみたいと思います。
興味をお持ちになられた方は、是非講に参加なさってみてください。
夏休みあけの始業式に、防災頭巾を被って避難訓練をした遠い記憶がございます。災害の恐ろしさを知り、被害を最小限に食い止める為の知識を備えるのが目的であったと思いますが、当時はどこか他人事に感じていたように思います。
「地震・雷・火事・親父」と言えば、「恐ろしいもの」の代表です。しかし現代に生きる我々は、それらを本当に恐れていますでしょうか?
「恐ろしい」には、
1. 危険を感じて、不安である。こわい。
2. 程度がはなはだしい。
① 驚くほどすぐれている。はかりしれない。
② 驚きあきれるほどである。ひどい。
という意味があります。
今日私達が同じ言葉を口にする際、1.もしくは2.②の意味を連想します。しかし本来は、2.①の意味での「恐いもの」の代表であったと考えます。「畏敬の念」の対象としてのベスト4と言う訳です。そして現代でもそう感じられるようになって欲しいと願うのです。
順番も的確だとおもいませんか?予測は有る程度出来る様になったとは言え、地震は現代科学をもってしても避けられるものではありません。雷は、ある程度の精度の予報で被害を最小限にすることは出来ますが、落雷を止めることは出来なません。火事は予防が可能ですが、自然発火等、まだまだすべてをコントロールすることは出来ません。
さて、最後の親父はどうでしょうか?ご一緒に考えてみたいと思います。
興味をお持ちになられた方は、是非講に参加なさってみてください。
登録:
投稿 (Atom)