2009年3月10日火曜日

江戸の講師と現代の先生

 ブログをお読み頂いている方から「なぜ芝先生ではなく芝講師とお呼びするのですか?」というご質問を頂きました。
 確かに現代では「先生」とお呼びして尊敬の念を表す事が多く、私共が芝氏を「芝先生」とお呼びしないことに違和感を持たれるのは無理もございません。他にも同じ様な疑問をお持ちの方がいらっしゃるかもしれませんので、今回は「先生」と「講師」についてお話させて頂きましょう。

 「先生」という言葉が盛んに使われた出したのは明治維新後だと聞いております。一説には「先に生まれたことから、先生」というようになったと言われており、広辞苑でも先生の箇所の最初にそう書かれています。「自分が師事する人」また「その人に対する敬称」というのが現代では最も広く使われている意味ですが、政治家・統率者・経営者をこぞって「先生」と呼ぶはことには食傷気味です。中国では「〜さん」のことを「〜先生」と呼ぶそうです。日本ではそこまで形骸化した意味の使用は稀ですが、時としてはからかいの意味を含んでいる場合はございますね。

 明治のざれ歌(狂歌:特に江戸時代に流行、俗語を用いた。)に「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」というのがございます。芝講師は、会に新しく入られた方に芝先生と呼ばれると「先生、先生と呼ばれると、この歌を思い出して嫌な気分になります」と冗談まじりによくおっしゃっいました。「講では皆が教える人で教えられる人」というお考えだった芝氏は、ことの他「講師」という呼び方に”こだわり”をお持ちでした。

「師」の持つ多くの意味の一つに「専門の技術を職業とする者」というのがございます。芝講師はいわば「講」を成功させるプロフェッショナルとしてのご自分を、上も下も無い「講師」という肩書きで呼んで欲しいとおっしゃっていたのはないでしょうか。その本意について、実はまだ確信が持てないでおります。残された様々な資料を整理しながら、芝講師の言葉をお考えを、これからも皆様にご紹介させて頂きたいと存じます。
以下は、芝講師がお書き残しになられたものです。
 

江戸しぐさでございますが、その前に、つぎのことだけを頭に入れておいていただきたいと思います。
 (1)江戸の歴史には、二つあるということ。
 (2)江戸の講師と、いまの学校の講師とでは、意味が全然違うということ。
 (3)江戸の○○のシグサと江戸しぐさとは違うということ。

「江戸楽のすすめ・生きる」 原文より


江戸楽のすすめ・生きる

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