2009年3月13日金曜日

春分・さくら前線

 江戸のころは、春になると先ず「お墓参り」をしてご先祖さまの供養を済ませ、それから「おひな祭り」をしたそうです。

芝講師はこうお書きになっておられます。

 供養とは、三宝(仏・法・僧)または、死者の霊にお花をあげ、ローソクに火をともし、飲み物、食べ物、お金などを供え、お経を上げて拝むことだよ。
 昔の尋常高等小学校では、「香花・灯火・飲食・財物・読経・礼拝が供養なり」と教えたんだが・・・
 お墓の前で、手を合わせ、「ご先祖さま、子も孫も、こんなに元気でおおきくなりましたからご安心ください。これから”楽しいひな祭り”をしますので、あの世から見守っていてやってください」とお願いしたもんだね。
 これなら、陽気もいいし、桃の花はもちろん桜も咲く、人々はみんな春らしく着飾り、ボンボリに火がはいって風情があるっていうわけよ。
 子も孫も親や祖母たちの言葉を肩ごしに聞いて、「もっと元気で大きくならないといけない」と自覚し、明るい未来への夢と希望で小さな胸をふくらませたものだ。
いきいき江戸しぐさ第8号より抜粋


 春の話題と言えば「桜前線」。実は料理の塩加減にも深いかかわりがあるようです。寒い冬の間は濃い味に、夏の暑いときは、薄味にと聞いておりますが、濃い味が薄らいでくる目安は桜前線のようでございます。

芝講師のお話によると、

 さて、味の感覚というものは、一年単位で少しずつ変化し、三年くらいで、かなり変る。
 そして、七、八年くらいで、一定の線に到達する。つまり、その人の持ち味というものになってゆく。 
 江戸っ子は、生まれながら江戸の水をのみ、江戸の味に育っているもので、三歳くらいで、ほとんど同じ塩かげんを好むようになる。これは不思議なもので個人差がない。
江戸っ子とレストラン・芝三光原文


だ、そうです。科学的なことはわかりまんせんが地方によって味の好みが違うという理由の一つに、「水」が影響しているかもしれないと考えるのは、あながち間違いとは思えませんね。

 会ではさくらの春になると、湯銭マヨネーズを作って、旬(筍の字は生え始めて十日以内の竹を意味するそうです)のもの、わけぎ・たけのこ・菜の花等をさっと湯がいて、芝講師自らが振舞ってくださいました。これがおいしいのなんのって!絶品でございました。「あの時に食べたマヨネーズの味が忘れられません」と今でも、お便りを頂戴します。
 
 「男は厨房に入らず」などと言いますが、芝講師は食物は健康の始まりとおっしゃり決して手抜きをなさいませんでした。
 落語にも竹の子の境界線は?というのがございます。その竹の子(孟宗竹)は、徳川吉宗のころ中国より琉球から薩摩に入り、日本に定着したとお聞きしますが、「自分の屋敷に御芽をお出ししたら、いただきやしょう!」 というのが、やはり自然流なのではないでしょうか?

2009年3月10日火曜日

江戸の講師と現代の先生

 ブログをお読み頂いている方から「なぜ芝先生ではなく芝講師とお呼びするのですか?」というご質問を頂きました。
 確かに現代では「先生」とお呼びして尊敬の念を表す事が多く、私共が芝氏を「芝先生」とお呼びしないことに違和感を持たれるのは無理もございません。他にも同じ様な疑問をお持ちの方がいらっしゃるかもしれませんので、今回は「先生」と「講師」についてお話させて頂きましょう。

 「先生」という言葉が盛んに使われた出したのは明治維新後だと聞いております。一説には「先に生まれたことから、先生」というようになったと言われており、広辞苑でも先生の箇所の最初にそう書かれています。「自分が師事する人」また「その人に対する敬称」というのが現代では最も広く使われている意味ですが、政治家・統率者・経営者をこぞって「先生」と呼ぶはことには食傷気味です。中国では「〜さん」のことを「〜先生」と呼ぶそうです。日本ではそこまで形骸化した意味の使用は稀ですが、時としてはからかいの意味を含んでいる場合はございますね。

 明治のざれ歌(狂歌:特に江戸時代に流行、俗語を用いた。)に「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」というのがございます。芝講師は、会に新しく入られた方に芝先生と呼ばれると「先生、先生と呼ばれると、この歌を思い出して嫌な気分になります」と冗談まじりによくおっしゃっいました。「講では皆が教える人で教えられる人」というお考えだった芝氏は、ことの他「講師」という呼び方に”こだわり”をお持ちでした。

「師」の持つ多くの意味の一つに「専門の技術を職業とする者」というのがございます。芝講師はいわば「講」を成功させるプロフェッショナルとしてのご自分を、上も下も無い「講師」という肩書きで呼んで欲しいとおっしゃっていたのはないでしょうか。その本意について、実はまだ確信が持てないでおります。残された様々な資料を整理しながら、芝講師の言葉をお考えを、これからも皆様にご紹介させて頂きたいと存じます。
以下は、芝講師がお書き残しになられたものです。
 

江戸しぐさでございますが、その前に、つぎのことだけを頭に入れておいていただきたいと思います。
 (1)江戸の歴史には、二つあるということ。
 (2)江戸の講師と、いまの学校の講師とでは、意味が全然違うということ。
 (3)江戸の○○のシグサと江戸しぐさとは違うということ。

「江戸楽のすすめ・生きる」 原文より


江戸楽のすすめ・生きる