2009年2月12日木曜日

講とは...3

 講について、特に多くのお問い合わせがございますのは、「今度はいつ講をおやりになるのですか?」というものです。講とは...2に引き続きお話させて頂きます。

 講元として、次回の講の予定を決めることは、とても気を使うものであります。同じ思いをなさった芝氏はこう書き残しておられます。

「江戸の文まわし(1978年10月吉日)」より抜粋

「講の日を指おり数えて待ちます。手帳をだして、「この次は いつですか?ボクは忙しいから、」などと言うのは、他所(よそ)者と言われます。 
 江戸言葉で言えば、「どうも私は頭がわるいので、手帳に書き記しさせていただきます。つぎのお講の日を おおしえ願います。」と なります。
 お若いかたは、「ボク、頭が悪いからメモしとく、つぎのミーテイグ、教えて」とおっしゃればいいでしょう。
 そうです。それこそ 頭の良いアナタ様なら、もう お分かりでしょう。江戸の講は、まず、世辞(せじ)を覚えるところから始めるのが良いでしょう。
 と言いますのは、江戸の講のメンバーの発想は「世にも珍しい」もので、それが江戸の講の特色であるからです。
 このごろ、江戸言葉と言うと、ベランメエ言葉とか、下町弁のことを おっしゃるかたがいらっしゃいますが、困ったことです。
 江戸言葉というものは、極端に言えば、どこの言葉でしゃべっても良いのです。その お話のなかに、世辞が はいっていれば「江戸言葉」になります。そして 江戸言葉で話す人たちの集まりが「江戸の講」と言うわけです。
 例えば、次の二例をご覧ください。どちらも同じことを言っていますが、先の例が江戸言葉で後(あと)のがいわゆる田舎言葉です。
「どうも私はボンヤリしておりまして、道を まちがえてしまい遅くなりました。みなさまの貴重なお時間をドロボウしてしまい、申しわけありません」
 「ここが なかなか わからなくて、別のところへ行ってしまったので、遅く成ってしまいましたが待ちましたか?」
 つまり、江戸言葉は「自分以外の人が中心」という考え方に立って話をする言葉ですが、田舎言葉は、いくら共通語や東京弁で話しても、自分が中心という考え方で話をする言葉という 違いがあります。
芝三光著 原文ママ


 しかしながら、皆様が遠慮なさって他の方のご都合に合わせますとおっしゃったのでは、なかなか日程が決まりませんね。そのような時は、敢えて自分が野暮となり、「前回は他の方のご予定が優先だったから今回はわたくしの都合に合わせて頂いてもよろしいでしょうか?」と、どなかたが主張なさることで日程が決まる場合もございます。一見利己的に見えて、実は講全体の事ををお考えになったからこその「しぐさ」です。今風に申し上げますと「場の空気を読める力」が江戸での「粋」に当たると言えましょう。「KY」(空気が読めない)という否定的な言葉より、「IKI」の方が格好良い響きではありませんか?

 文中にある「江戸言葉」について、昨日「大和花の画房」で、Yさんという方からとてもよい言葉をお聞きしました。お隣のトキおばあさんを訪ねる際はいつも「トキさん、とぜんしとっか?」とお声をかけになるのだそうです。
 この意味、お分かりでしょうか? 徒然(とぜん)とはあの徒然草のことで、「おひまでございますか?」という意味なそうでございます。なんと粋な言葉でしょう!
 講も江戸言葉も「自分以外の人が中心」であり、「謙虚さ」から成り立つものであるということがお分かり頂けましたでしょうか?
 因に、「江戸講」や「江戸言葉」といった、本ブログ内で表記される「江戸」は、地域を限定するものではございません。「江戸の時代に江戸の町から生まれた"粋"」をどこで使おうとも、それは「江戸しぐさ」であり、「江戸言葉」と言って良いのです。江戸っ子も然りで、「こちとら生まれも育ちも江戸っ子だい!」と言うよりも、むしろ「三代前から江戸講で学んでおります」とおっしゃる方が、それこそ粋というものでしょう。

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