2008年12月24日水曜日

きみのはい

 「江戸の良さを見なおす会」の発足当時、「江戸の心をお伝えする」ことを中心に講が行われておりました。

 講で「江戸の心は自然流」と浦島講師に初めて教えていただいた時には、「なんて素敵な言葉でしょう!」と感激したものです。その後もその言葉に添うように、長い間活動して参りました。そしてこの12月に、NHK大河ドラマの篤姫の「一本道」で、背の君が「江戸は心じゃ、心のままに生きるのじゃ」というような言葉を回想している場面に、篤姫の自立した女性の姿を楽しむと共に「芝講師がおっしゃっていた言葉通りだったわ」と、すっかり嬉しくなりました。
 全国の皆さまも、場面は違っても、篤姫をご覧になってきっと何か感じるものがあったのではないでしょうか?可愛らしい女優さんの頑張りだけで、高視聴率となったのではないような気がしております。

 さて、会の原稿用紙に浦島講師が書き残したものが多数ございます。「江戸の良さを見なおす会」の公式ホームページの公開も無事行われ、より多くの方に浦島講師のお考えを知って頂く機会に恵まれました。そこで今回は、本会が誕生するに至った浦島講師のお心を、皆様に知って頂きたく存じます。

<「江戸ッ子新宝・原稿はがき用」原文ママ>
 「江戸の心を伝える会って、どういう事をしているんですか?」会に初めていらっしゃる方にお会いすると必ず、こう聞かれます。そういうとき、私は、いつも決まってキミのハイのお話しをします。
 ですから、2度目の方は、またかと思われるでしょうが、我慢してください。その内にもっと解りやすい例えを思いつけば、いつも同じようなことを申し上げなくでも済むむかも知れません。
 
 でも、いつも同じようなことを申しあげている事も、心を伝えるという仕事の一つかも知れませんね。どうか、そうお考えいただきたいと思います。
 
 さて、きみのはいですが、漢字で書くと黄身の胚と書くのでしょうか、それとも黄味の胚となるのでしょうか、江戸の寺子屋では、黄身と黄味を使いわけていたようですが・・・。
 とにかく、卵の胚(はい)、この胚という字も今は使われないことになったようなので、どう書けばよいのでしょうか・・・。卵の黄身にくっていている白い小さい部分、あれですね。江戸時代には、卵の目とか、いきめ(生目)と言っていたようですが、東京では、いまでも卵の目と言っている人が、かなりあるようです。アナタは、なんと言っておられますか、機会があったら教えてください。
 その卵の目ですが、お料理をするとき、おはし(箸)で、目を取って捨てている人を見かけられたことがございませんか。
 子どもたちが、お誕生日や遠足の日、ウキウキ早く目を覚まして、台所で卵焼きなど焼いている母親のそばに寄って来て、
「どうして、それ取って捨てるの?」などと訊ねたとき、どの母親も決まって、こう答えたものでした。
 「これ、卵の目よ、この目はね、この黄身や白身を食べながら、だんだん大きくなってね、卵をみんな食べ終っちゃった時に、ひよこになって生まれて来るのよ、でも、これ、卵やきにして、あなたが食べちゃうでしょ、ね,可哀想でしょ、ひよこまで食べちゃったんじゃ。
 だから、捨てるんじゃないのよ、こうやってお箸で取ってね、お庭の土に返してあげるの、わかった? さ、早くお仕度をしなさい」
 子どもたちは、これを聞くと、その時から卵を食べるのが、悪いような。もったいないような、有難いような、怖いような複雑な気持ちになって、物の哀れを知るというのか、生存競争の恐ろしさをハダで感ずるようになるというのか、心の中に、なにか大きく残ったことは、確かだったようですね。こういうことを、後の世に伝えていきたいと思いましてね、この会を始めた訳です。

 

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