2008年11月28日金曜日

講とは...2

 一つの講が成り立つまでの流れを、簡単にご説明致しましょう。

 何かについて「アッ、それっていい!」と、感じたとします。もっと良く知りたいので色々な人と情報交換をしようと考え、「○×○×について興味のある人この指とまれ!」と名乗り出ます。

 「自分もそれについて知りたい!」と思った人々が集まったところで、まず「如何にしてみんなで楽しく学習できるか」を考えます。実は、すでにそこから講は始まっているのです。そして、自分達の知恵だけでは 足りないと思ったら、次に講師をお迎えする「てだて」を考えます。

 「○×○×について勉強したいのですが、何時でしたら講師をお願いできますでしょうか?」と、教えて頂きたい方に、お手紙またはメールで連絡を取ります。この最初のお願いを電話ですることはございません。

 講師をお受け頂いたら、会場の手配等を自分たちで行います。講師にとっても、もちろん自分達にとっても楽しく充実した講にする為には様々な準備が必要となります。と、この準備までの間に、すでにいくつもの江戸しぐさが存在していることにお気付きですか?これでもまだ江戸講への第一歩を踏み出したばかりなのです。

 「まだ講は始まらないの?面倒くさーい」とお考えの方へ。
 実際の講へ参加なさる前に、web講(来年度開始予定)で「江戸しぐさ」についてもう少しお読み頂ければと存じます。「講」は現在のセミナーや学習塾と同じものではありません。「お金を払って知りたい知識だけをパパッと頂く。後は自分流に仕上げ、元を取る。」という考えは「江戸講」にも、芝三光氏のお考えを受け継ぐ「江戸の良さを見 なおす会」の「講」にもございません。

 このように七面倒くさいことばかり申し上げましたが、江戸しぐさに則って開かれた講の充実度、終わった後の清々しさは何ものにも替えがたいものでございます。金銭的な利益など無い、「講」を開催する者にとって、それらは頑張った自分たちへの一番のご褒美と言えるでしょう。

 さて、準備についてはこれ位にしておき、実際の講について少しお話しましょう。
 講師がいらっしゃると言っても、講は現代の学校の授業とは少し異なっていました。講師がお話しになる事をただ聞いて書き取るのではなく、出席者全員が何らかの役割を持って初めて成り立つのが講であり、江戸の 「個人を尊重」する実践教育の現場でした。

 当会の浦島講師は、講中(会員)の一人一人の個性を実に良く掴み、常にその人に適した役割を割り当てておいでした。それぞれの担当者はその役割のリーダーであり、結果として皆がリーダとなるのです。これの 良い点は、人間関係の上下が無いことなのですが、取りまとめる方の力量が非常に問われるものでもあり、現代において本来の「江戸講」が廃れてしまった大きな原因の一つではないかと考えております。

2008年11月18日火曜日

江戸しぐさ考

 ことばは生きている…。

 「江戸の良さを見なおす会」の会合に、ある新聞社の記者の方が取材にお見えになった時のことでございます。
 「外国の方々には、日本人はマナーが悪いとの定評があります。そこで日本人のマナーを良くするキャンペーンを繰り広げたいので、マナーについて書いてください」と、芝講師への要望がございました。

 芝講師は、
『「江戸しぐさ」というものがあり、「江戸の講」では、このようなしぐさを勉強しあっています』と講座で説明し、加えて私共弟子に、江戸しぐさの定番の「傘かしげ」「こぶし腰うかせ」「肩ひき」「かに歩き」などを実演するようにおっしゃいました。更に「三脱の教え」の文章もお書きになり、江戸の講の記録などと併せ、取材にいらした記者の方にお渡したようです。

 後日、新聞に掲載された記事のタイトルを見てびっくり!
 『「江戸しぐさ考」日本人の良さを見なおす…マナーを欠く現代の方々に…』とのサブタイトルが書かれているではないですか。
 その記事で「江戸しぐさ」はマナーであると断定され、更に「講」は「考」に変わっていたのです。その新聞をお読みになった方々が、その後多方面で色々とお書きになった結果、現在の「江戸しぐさはマナーである」という偏った認識が定着してしまったのです。この「江戸しぐさはマナーなのか?」については、今度是非詳しく書かせて頂きたいと思っております。

 また、「江戸しぐさ講」が「江戸しぐさ考」になった件は、やはり「講」は一般的でなく、ねずみ講を連想されるので敢えて「考」になさったと考えるようにしました。しかしこちらは定着しなかったようですね。当時を思い返し、ちょっと遊び心を出してこんなことを書いてしまいました。芝講師、お許しくださいませ。