2008年10月20日月曜日

講に参加する心構え・時泥棒(ときどろぼう)

 先生と生徒の関係を、指揮者と団員に例えてみましょう。
 言うまでもなく、管弦楽や合唱では、メンバーが一人でも遅刻した場合、代役を立てない限りコンサートはできませんね。それがどんなに名指揮者と名演奏家の揃(そろ)った楽団だったとしても、抜けたパートがあったらオーケストラもコーラスも成り立ちません。

 江戸では、約束に時間に遅れることを「時泥棒(ときどろぼう)」と呼び、時(とき)には(しゃれではありませんが・・・)金品を奪う泥棒棒より悪いとさえ言われていたようです。

 何故なら、「時」は弁償不可能な共有財産であり、それを大勢の人々から同時に奪ってしまうことはもはや「罪」であると考えられていたからでしょう。
 では、已(や)む無く遅れる場合や、遅れた場合の「てだて」は どうすれば良かったでしょうか。それをで学習する場、それこそが「講」であったのです。

  現代では時泥棒が「罪」であるという考えは廃れているようですが、やはりどこかで「良くない」ことであるという認識は皆さんお持ちのことでしょう。<江戸の良さを見なおす会>では、一つの「江戸しぐさ」が何故「常識」として今も通用するか等を、講にてお話しております。

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