2013年9月3日火曜日

お知らせ

江戸の良さを見なおす会の公式ホームページをリニューアルいたしました。同時に本ブログは公式ブログとしての役目を終え、今後はホームページの方で情報を更新して参ります。

2012年1月16日月曜日

1月講「三年付き合い」

[ はじめに ]

 桃栗三年柿八年とは「桃と栗は芽が出て実がなるまでに三年、柿は八年かかる」つまり、何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要であるという意味です。
 江戸の講では「お初お目見え」「八度の契り」「三年付き合い」等に代表されるように、知り合ってから真のお付き合いをするまでには時間をかけ、お互いに相手の本質を見極めていたと言います。
 何事もスピーディにこなす現代人の「お知り合い」文化は、一見無駄の無いスマートなものに見えるかもしれません。しかしその関係に誠意や信頼といった厚みは無く、時には詐欺や犯罪のきっかけとさえなっている事実を見過ごす事はできません。

 江戸の良さを見なおす会では、これらの理由から講における初対面同士の名刺交換を良しとはしておりません。大人同士のことなので、もちろん禁止はしておりません。しかし非常に無粋であるということを、改めてこの場でお話させて頂きます。
 氏名(氏(うじ)と名)の両方を名乗ったり、詳しい職業、住所、年齢、家族を初対面では紹介し合わずにいることで、相手の本質を見ぬく力を養って頂く。これもまた江戸しぐさの学びの一つであるとお察し頂けたところで、次のお話に参りましょう。

続きは1月講にて。

2011年12月13日火曜日

12月講「一人一人に一講(ひとてだて)」

[ はじめに ]

 私が現在も習い続けているお稽古に、「着付け」「お茶」「小唄」「古文書を読む会」がございます。まだ私も若かった頃から「何かを習うなら一つにしなさい」と、芝講師には嗜められておりました。「先生がおっしゃることだからきっとその方が良いのだろう。でも今は一つに決められない!」と結局複数を始めた結果、今尚どれ一つ極められてはおりません。


 色々に手を出して不必要にバタバタと忙しくしている私を、芝講師が叱る様なことはありませんでした。むしろ「何一つとして無駄な勉強は無し」と静かに見逃してくださいました。
 ただこの齢になり、ようやく「一つになさい」とおっしゃった意味が理解出来るようになりましたものですから、今年の締め括りに皆様にお話させて頂こうと思います。


続きは12月講にて。

2011年11月10日木曜日

11月講「365日の残し文」

[ はじめに ]

 芝講師の年代はもちろん、私のように団塊と言われる方々の世代もまた日記を付ける習慣をお持ちの方が多いようです。
 原稿を書くことが多かった芝講師ですが、それらが芝講師のお名前で出版されることはありませんでした。そして日々の心情を吐露した日記のようなものは、お書きになる習慣は無かったように記憶しております。では芝講師は我々に何を残してくださったのでしょうか。

[ 「残し文」とは ] 

「残し文」は誰それに宛てた文章とは限りません。日々の書き付け・日記・日報・手紙はもちろん、手帳も立派な残し文となり得ます。
 芝講師は原稿も手紙もカーボンを当ててお書きになりましたので、江戸の良さを見なおす会には芝講師直筆のものが山程残っております。他にも手帳や走り書きのメモなど、「残し文」として大切に保管しております。

続きは11月講にて。

2011年10月13日木曜日

10月講「見取り学」

[ はじめに ]

 見取り学とは「設計図、回路図を読み取ることは勿論、聞く、触る等五感をフルに使って感じ取る力を養う為の学習である。」芝講師はそうおっしゃっていました。
 大学では電子工学を専攻なさっていたことから、人の考えを設計図、特に電子回路に例えて説明なさることがよくありました。「パッと見は難しく見えるかもしれないが、順を追って規則通りに読み解いていけば必ず理解出来る」のだそうです。
 本日はそんな「見取り学」について、芝講師のライフスタイルと共にご紹介していきたいと思います。

[ 芝流「見取り学」–入門編- ] 

 江戸の良さを見なおす会では、生前の芝講師から託された多数の遺品、資料の整理・保管も大切な業務の一つです。その量たるや、事務局には置ききれずにもう30年以上もの間、倉庫を借り続けている程です。
 その中には収集なさっていた浮世絵や直筆の原稿や手紙の束はもちろん、「なんでこんなものまで?」と首を傾げたくなる様なものも少なからずございます。

続きは10月講にて。

2011年9月13日火曜日

9月講「秋の七草」

[ はじめに ]

 「七草粥」として年中行事の一つに据えられた春の七草とは違い、秋の七草は現代人には少し馴染みが薄いかもしれません。
 皆様ご存知の通り、春の七草「芹」「薺」「御行」「蘩蔞」「仏の座」「菘」「清白」はすべて食用です。春に芽吹いた、若く力強いエネルギーを食事として摂取することで、春から夏に向けて体力を養っていく必要性を説いたのではないかと考えます。
 一方、秋の七草は「女郎花」「尾花(ススキ)」「桔梗」「撫子」「藤袴」「葛」「萩」で、それぞれの頭文字をとって「おすきなふくは」と覚える事が出来ます。これらは一見食べられない様に思え、実は古来から「生薬」として使われていました。夏の暑さで弱った体を癒し、来る冬へ向けて体調を整える薬として準備したのではないでしょうか。

 本日はお彼岸を前に「秋」の過ごし方について、お話をさせて頂くと致しましょう。

続きは9月講にて。

2011年8月17日水曜日

8月講「浦島講師の往復書簡」

[ はじめに ]

 つい最近読んだ記事によると、アメリカでは数年前から「筆記体」の衰退が目立ち始め、「若者の多くが筆記体での読み書きの力が不十分」なのだそうです。実は日本はもっと前に同じ問題に直面し、それを放置してしまった経緯があります。今の若い方はもちろん、すでにその親御さんの代から「お舅様から頂いたくずし字(草書)で書かれた達筆な縦書きのお手紙が読めない」という方がいらっしゃるのではないでしょうか。

 便利な電子ツールが世の中に溢れています。そしてそれらの多くが比較的安価で簡単に使いこなせるとくれば、わざわざ手紙を書かずとも連絡を取り合う事が出来てしまいます。
 一昔前のテレビコマーシャルで、独居のお年寄りが使う電気ポットにインターネットを組み込み、その日ポットを使ったかどうかで安否確認をするという商品を見た事があります。「へぇ、上手い事考えるものだ」という関心と同時に、「心配なら毎日電話すればいいではないか」とも思ったものです。この考え自体、私も既に「現代病」にかかっている証拠ですね。

 ブログやTwitterでの発言が簡単に書籍化されるこの時代、わざわざ手紙を書く意味が見失われつつあります。昨年の8月講でも一部取り上げましたが、今回は講師直筆の往復書簡を例に、手紙に寄って培われる江戸しぐさ(教養)についてお話させて頂きます。

続きは8月講にて。

2011年7月14日木曜日

7月講 「江戸の女(ひと)」

[ はじめに ]

 「雌鳥歌えば家滅ぶ」とは、(妻が夫を出し抜いて権勢をふるうような家はうまくゆかず、やがて滅びる)という例えです。

 この様に古来から女性の社会的活躍を好ましく思わない風習と国民性により、女性の社会進出は阻まれていたのです…とはフェミニスト的な考えであって、実は「江戸しぐさ」的な考えではございません。

 本日は今までのイメージとは違った見方で江戸時代の女性について、「その生き生きとした当時の女性像を現代の女性達が引き継いでくださったら」と、願いながらお話することにいたしましょう。

続きは7月講にて。

2011年6月16日木曜日

6月講 「意地と遠慮のその先に…」

[ はじめに ]

 「無縁社会」という言葉が、震災後改めて関心を持たれるようになったそうです。比較的耳触りの良い、関連した言葉の一つに「お一人様」というものもありますね。

 「スタイリッシュ」「気楽」「独立した」という良いイメージで使われることの多い「お一人様」ですが、一人で過ごすその先に「無縁社会」が待っていることの無いよう、本日はお話させて頂きます。現在ご家族がいらっしゃる方こそ、是非お聞き下さいませ。

続きは6月講にて。

2011年5月12日木曜日

5月講 「江戸のリサイクル術で節電を!」

[ はじめに ]

 あって当たり前のものの代表に「空気」が挙げられますね。今回の大震災と原発事故により、電気こそが我々にとって「あって当たり前。無くては暮らせないもの」であると再認識させられました。
 しかし足り無いものは足り無い。そう言って我慢や工夫の努力が足りず、安全性という最も軽視してはいけない部分を無視して「便利さ」や「利益」を追求した結果がこの現実なのです。

[ 「責め」ではなく「攻め」が江戸しぐさ ]

 ここで思い出すのが基礎的な江戸しぐさの「うかつあやまり」。状況を考えたなら自己批判を推奨するなど論外ですが、相手を責めるだけでは解決しないというのもまた事実です。なんとか土壇場、行き詰まりの状況を脱し、今後は「せっぱつまり」にならないような対策をたててゆかねばなりません。
 特に被災していない人達は、今は東京電力の責任だとか政府の対応がどうとか、それらを責めたて責任の所在と補償を追求する前に、皆が少しでも安全で不安のない生活を手に入れるようにすることが先決です。そしてそれが被災した人達の復旧、復興に必ず繋がります。

続きは5月講にて。